✨🌈 CHINOちのたびTABI ✨🌈

発酵したパン生地のようにゆっくりふくらむ旅ブログ

わたしはブエノスアイレスにいた。

 

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毎日愛用していた地下鉄A線の艶やかな木製車両


「あの音、なに?」

横で夫がきいてくる。

パソコンのモニターには

アルゼンチンのストリートフードを紹介する番組。

そのBGMで流れて来たバンドネオンの音色。

ふと、ブエノスアイレスを懐かしむ。

しかし、懐かしみながら、自分の怠慢に気づく。

あの街を歩いていたって、

いつもバンドネオンが鳴っているわけではないし、

ましてやタンゴを踊らなかったわたしには、

現地で何度、

あの音色を聞く機会があっただろうか。

さぼってんな。

思い出すことを、

懐かしむことを、

アルゼンチンらしいものに反応することで、

さぼってる。

ゾッとして、記憶のヒダを逆立てる。

すると、積年触らずにいた埃が舞い上がるように、

当時の気配が匂い立つ。

目が慣れても結局ずっと薄暗い地下鉄A線のホーム。

老朽化した車体の手動ドアのノブのかたさ、おもさ、愛想のなさ。

それでいて、
古い木製の椅子、手すり、床、天井は、手垢で磨かれた飴色の艶を放ち、

暗い灯りの中で濃密な色気を醸している。

わたしは時を忘れて車中の薄暗い世界に魅入る。

たまにわざと乗り過ごす。

車内で物売りが立てる口上に耳が向く。

売り物は、ボールペン、ゴム紐、イヤホン、充電器、ガム、懐中電灯。

そして時折、

この安物を売るのと同じ手が、

マリヤ様の絵札を、座る乗客の手元に配布していく。

勝手に手元に押し付けられたのではあるが、

あまりに的確で迅速なので、

配布と呼んでしまう。

配り終えた売り子が2分ほどして戻ってくる。

絵札が求める寄付を乗客が渡さなければ、

絵札はさっさと回収されていく。

どれほど混雑していても、

次の駅に到着するまでの寸暇で、

確実に、もらすことなく、

絵札は配布され、やがて、回収される。

わたしは一度も買わない、払わない。

しかし、実際に買う人や、寄付する人は意外に多い。

その全てが無表情に、

その全てが同じ価値で、

淡々とさばかれいた。

駅の地下はどこも公衆電話の受話器のような人いきれ。

暗いパサージュの奥には必ず一軒のタトゥーショップ。

片付けられる気配のない書籍が散らかっている本屋。

女はほとんど並んでいないチョリパンの屋台。

焦げ付いたような黒い柱に、煤けても美しい看板を下げるカフェ。

清潔なわけない新聞紙に包まれたチュロス

店も、店主も、時がとまっている洗濯屋。

絶えずガラス片が飛び散る交差点。

わたしの上半身より大きな冷凍のハチノス。

ドア屋に、オムツ屋、蛇口屋、ネジ屋、リボン屋…

問屋街の細かい専門店を目で追い数えるバスの車窓。

不安と後悔で千切れそうな心を無視して見上げた街路樹の高さ。

その樹の横にある、小型車くらいのゴミ箱を、

丸ごと触手で掴んで持ち上げて、

天から振り落とすように中身を回収するゴミ収集車、

その爆音。


真夏のように強い陽射しの下でサングラスをかけながら凍えていた8月の冬。


ここらで身体中からブエノスアイレスが立ち昇る。

細胞の一つ一つから果てしなく蘇る記憶。

わたしはブエノスアイレスにいた。

これが想い出すということか。

カフェオレについてくるビスケットの曖昧な甘さ、

石畳が砂利つく不快な感触、

埃っぽい牛乳パック、

バスを待つ時の薄っぺらい緊張感、

賑やかな市場の薄暗い気怠さ、

薬局のおばあさんの目つきの悪さ、

角の小さな八百屋さんのかさついた手指。

幾度も繰り返し見てきたカラフルな写真や、

幾度も繰り返し語って鮮明に覚えている思い出に押されて、

ギュッとヒダの奥に埋もれていた、

煮しめのような地味な瞬間が、

深々と蘇る。

うん、

やっと思い出した。

わたしは確かにブエノスアイレスにいた。

あれがわたしのブエノスアイレスだ。