✨🌈 CHINOちのたびTABI ✨🌈

発酵したパン生地のようにゆっくりふくらむ旅ブログ

お餅の話

小学校の頃のおはなし。



お餅が好きだ。
小さい頃からずっと好きだ。

我が家はみんなお餅が好きで、一年中通して、週に3〜4回は食べていた。
なので、18歳で一人暮らしをし始めた時も、お餅のストックは絶対に欠かさず、
主食のように食べていた。
が、それをみた友人たちは、お餅なんて正月くらいしか食べないという。
初めはそっちの方が少数派かと思っていたが、我が部屋に遊びにくる人たちは、
お餅を見つけては同じことを言い、
だんだんと”正月のみ派”の割合が増えてゆくにつれ、
他の子、というか家では、さほどお餅は食べないらしいと認めざるを得なくなった。
しかし、今暮らしているのは関西、大阪だったことから、
「そうか、私の生まれ育った横浜が、お餅をよく食べる地域なんだな。」
そんな風に勝手に納得した。

で、夏休みに帰省した際、いつも通りお餅を食べながら、
「関西ではあまり餅を食べないらしい」と母親に話したところ、
「いや、こっちでも、こんなにお餅食べるの、たぶんうちぐらいだよ」
と、あっさり返された。

なに?
それは素直に納得できない。
なぜなら、今回の思い込みには珍しく根拠があるのだ。
小学生の頃、私は、よく遊びに行く友達の家々でも、しょっちゅうお餅を食べていた。はっきりと記憶がある。
だからこそ、我がふるさと横浜ではお餅をよく食べるのだと思ったのだ。
以上を反論すると、母は大変満足そうに、
それでいていつもどおりクールに笑いながら、

「それ、ママが配ったんだよ。」

と、意外な真相を明らかにした。

当時の私は極度の偏食で、
友人宅で出される食事はほとんど食べることができなかった。
しかし、加えて極度の人見知りで気が弱かった私は、
友達のお母さんに向かって、
これ食べられない、とか
これ苦手、とか
他のものがいい、とか
そういうことがどうしても言えず、
ただ「お腹すいてない」とだけモジモジと繰り返していた。

ある日、そんな私を心配した友人の母親が、
「ゆうこちゃん、一日遊んでてて何にも食べないんだけど大丈夫かしら?」
と母に相談してきた。
私の好き嫌いの激しさと気の弱さにピンと来た母は、
私がよく遊びにいく友人宅を巡り、
「あの子がお腹いっぱいっていう時は、
たいてい好き嫌いで食べられないんで、
焼いて出してやってください。」
そう伝えながら、餅を配ったそうだ。

聞いていて、耳鳴りがしてくるほどに嬉しかった。

母はかなりドライな性格で、
なんでもサッサとテキパキこなす元体育教師。
私とは正反対と言える人間で、
私のことを理解しようとするのは、早々にあきらめたと昔から言っている。
実際、私と母は水と油で、
私が何か少し話をしただけで、聞いてもいないアドバイスを勝手にしてくるとこも、
マイペースに楽しむ私を愚図と言い放つとこも、
不器用ながら一生懸命やっているものを取り上げて、
自分でササっと仕上げて得意げに返してくるとこも、
本当に苦手だった。
愛情表現はいたってドライながら、
当時は家庭の問題が重なってヒステリーも出るという、
感情の振れ幅が激しい母を、
子どもの私は持て余し、
正直、かなり怖く、少し冷たい人だと思っていた。

でも、
こうして私の気づかぬところで、
どれだけ生きやすくなるよう助けてくれていたんだろう。
どれだけドライにさりげなく助けられていたんだろう。

話を聞いた当時は心がまだ青くて、
そんなことしてたの!?という恥ずかしさが思春期らしく優っていたが、
最近ようやく、ごく素直に、
このお餅の中に溢れる”温かみ”をしみじみ味わえるようになった。

そういえば、心が一番苦しく真っ暗になってしまった時期、
3年ほど和菓子作家のお師匠の下で修行をし、
和菓子の力を借りて自分を立て直した。
来る日も来る日も、鎌倉の山奥で和菓子に集中する時間は、最高のリハビリだった。
中でも、求肥が愛おしかった。
毎日作りたての求肥が生まれるたびに、
ほっと息をついて、ひと撫でして、ぷわぷわとした求肥を指でさすりながら、
赤ん坊のお尻のようだと慈しみ、
その度に、心がほっくりと癒されていた。
もしかしたら、できたての温い求肥の中に私は、
母に繋がるお餅の温もりを見つけていたのかもしれない。

こんなことを想う日がくるとは、人生捨てたもんじゃない。
これからもさらに、過去を掬い直して、救い治せるならば、
年を重ねるというのはなんとありがたいことだろう。

クロアチアでも、相変わらずお餅をたくさん食べている。
お餅、うめぇ〜〜〜。