『よくわからないなりに』＃１ 昔からよくわからないなりに

小学生の頃からのおはなし。

「自分には全く理解できない何かが起きている。」

これは私の子ども時代を貫く感覚であり、未だ抱える恐怖の根源でもある。

実際、かなり理解力の乏しい子どもだった。算数とか国語とかの知力を問われるもの以上に、もっと日常的で切実な「状況から判断する」という漠然としたものへの理解力が致命的に不足していた。今もあまり得意な方ではないが、幼い頃は、とにかく毎日よくわからず生きており、それはわりかし怖い日常だった。

そもそもテストがわからなかった。
テストの問題が、ではなく、テストそのものに対して「紙に書いてある質問の答えを、過去の授業で習った内容や知識、もしくはテストにのっている問題文から見つけて記入するもの」という根本的な部分の理解できていなかったため、私はテストで問われる内容を、毎回ガチンコの個人的な質問と受け取り、知らないことばかり問われるわりに、厳しく点数をつけられる状況に、本当に緊張していた。

ある日の国語のテストには、
これまできっと授業で何度も読んできたであろうはずの長文とともに、
「松井さんはこの時、どんな気持ちだったでしょうか」という質問が書かれていた。
小学生の国語のテストにおいて、主人公の気持ちを問う王道の質問である。
しかし、テスト勉強はおろか、「テスト用紙に記載されている文章を読んで解答を見つける」という読解試験の鉄則に気づいていない私は、さんざん戸惑った挙句、

「松井さんを知りません。」

と記入した。すごく勇気のいる解答だったことを今も覚えている。

ある日の社会科のテストは「かまぼこの生産」がテーマになっていた。テスト用紙の上半分には、かまぼこの生産過程についての長文とイラストが載っており、その文末は

「かまぼこが販売されているのは、主に、スーパーや駅前の（　　）です。」

と締めくくられていた。これまた社会科テストにおける王道の穴あき問題であり、解答欄には親切に４択まで付いていた。しかし、テストそのものの概念を理解していない私が、４択のありがたみを知るよしはない。
しかも、
よりによって私は“駅前”という言葉に盛り上がってしまった。なぜなら、駅前には、当時の私がもっとも憧れている場所があったからだ。テストの最中にも関わらず１人で盛り上がってしまった結果、前後の文脈も、問題のことも全て忘れ、私は”駅前”という言葉へのトキメキとともに、解答欄すら無視して、問題文中のカッコ内へ、憧れの場所を書き込んでしまった。

駅前の（きっさてん）

その後、この解答は、なぜか男子が知るところとなり、私は小学３年生の残りの７ヶ月、男子から声高に”駅前のきっさてん”とあだ名を付けられて過ごすことになった。
”駅前”という一言に浮かれてしまった、そのための大きな代償に、小学３年生の女子たる私は胸を痛めた。自分はなんでこんなことを書いてしまったのか、一体なんのつもりなのか、今更いくら悔やんでも悔やみきれない。”きっさてん”にかまぼこが売っていないことぐらい、私だって知っている。私の憧れの”きっさてん”に、私の大嫌いなかまぼこがあるはずない。そう、私はかまぼこが嫌いだ、すごく苦手な食べ物だ。ゆで卵の白身とともに、いまだ克服できていない嫌いな食べ物だ。かまぼこなんて置いていたら、そもそも”きっさてん”に憧れるはずがないのだ。

「ウ.みやげもの屋」

悔し涙を滲ませながら見つめた四択の正解の活字は、今も目に焼き付いている。
しかも更に痛々しいことに、延々としつこく絡む男子に対して私は、あまつさえ「売ってたもん！」と、誰がどう聞いても、自分でも嘘だとわかる反撃をしてしまい、男子の揚げ足取りという油にガソリンを注いでしまった。自分があまりに低俗な嘘をついた事態を重くみた私は、当時すごく仲良しで大好きだった担任の先生に、“駅前のきっさてん”と呼ぶ男子を止めてくれと頼んでみた。が、すぐに助けてくれると信じていた先生は、意外なほど積極的に動いてはくれず、よしんば、先生もこのあだ名を少し気に入っている節があった。おいおい、一体なにを考えているのだ、と先生のことまで恨みがましく思い、大好きな人を悪く思う自分の気持ちにも私は少し傷ついた。

ただ、今なら先生の気持ちが少し理解できる。
子どもの自由さを愛する大人がこの解答にグッときていたことを。

他にもわからないことはたくさんあった。

徒競走がわからなかった。
いつスタートして、どこに向かって、いつ終わるんだか、
そういうことがわからないし、
そもそも、
何のために走っているかがわからなかった。
なので、運動会当日は、先を走る級友の後をひたすらにつけた。
見失ったら最後、どこに行けばいいのかわからなくなる。
わからなくなれば、私はこの聴衆の面前で泣くに違いない。
それだけは避けたかった。
「あんた、普段は足が速いのに、なんでかけっこはビリなんだろうね。」という親の言葉に、今更大人の私がはげしく頷く。

言葉少ない質問の意味がわからなかった。
ある日、まきちゃんという友達の家の玄関で、まきちゃんが出てくるのを待っていたら、まきちゃんのお兄ちゃんが帰ってきた。
お兄ちゃんは家に入る時、私に向かって「妹？」と聞いてきた。
私はゾッとして全力で首をふり「違う！」と叫んだ。
これまで何度も会ったことのある私を妹と間違えるなんて、このお兄ちゃん、どうかしてる！と怖気がし、以来小学校を卒業するまで、ずっとこの兄を警戒した。
残念ながら、彼の質問が「（君は僕の）妹？」という珍問ではなく、
「妹（を待ってるの）？」という親切な気遣いだったと気づいたのは、24歳の春。
このように、異常な年月を超えて、突然ふと、天啓のように当時の真相を理解できるアハ体験は最近も含めけっこう多いが、気づけたことはおそらく氷山の一角であり、実際、私の世界観の何パーセントがこのような誤解に基づいているのかは未知数だ。

そして、こうした理解力の欠如や、そこから勝手に生じた恐怖心として、
かなり象徴的に覚えていることがある。

私が小学生の頃『いっぱいのかけそば』という不思議なブームがあった。
たぶん、４年生か５年生頃だったと思う。
事の起こりは知らないが、いつのまにか日本中が泣いているらしく、
テレビでも、『いっぱいのかけそば』の話を聞く集団が、
しゅんしゅんとすすり泣く映像を頻繁に流していた。
現象の波は私が通う小学校の教室にもきた。
その日、たぶん先生が絵本か何かを朗読したのだろう。
給食の後だったようにも思う。状況も内容もあまり覚えていないが、
級友、主に女子全体、そして男子も数人、テレビで見た人たちと同じようにしゅんしゅんとすすり泣き出した様子だけが鮮明に心に残っている。

恐怖だった。

私自身『いっぱいのかけそば』の話はなんとなく知っていた。
知っていたが、泣くようなものではないと思っていた。
なので、テレビで泣く人たちは「こんなお話でこんなに泣いちゃう人がいるんですよ。」という、ちょっと変わった人たちとして映されているものだと思いこんでいた。
しかし、今目の前で泣いているのは級友たちである。
テレビで泣く人などどうでもいいが、級友となると話は変わる。
いつも遊んでいるりっちゃんも、陽子ちゃんも、めぐちゃんも泣いている。
これはもしかして、泣けない私の方がおかしいのでは？と疑問が浮かび、
それはすぐ、泣けないことへの焦りへと変わった。
そもそも『いっぱいのかけそば』とは、
今振り返ってみるとおそらく、貧しい３人家族が一杯のかけそばに支えられて生き延びる、その健気さと、蕎麦屋の優しさを伝えようとした話だったのだろう。

が、私はここを致命的に読み違えていた。

確かに、しめっぽい雰囲気が苦手な子どもの私が、
『いっぱいのかけそば』をちゃんと読んだり見たはずはないが、
聞きかじる中から一生懸命理解しようとした結果、
感情移入の標的を蕎麦屋に置くという根本 的なずれが生じ、
皆の涙のわけを誤解した。

３人で入ってきた人が一杯しか食べなくて、
おそばやさん、ちょっと困っちゃったんでしょ？
でも、みんなで泣くほどのことなのかな？
一杯しか食べられない時もあるだろうし、
他のお客さんもいるだからお金は大丈夫なんじゃないかとおもうんだけど、
違うのかな？
おそばやさんが泣くほど辛いことなのかな？
3人で一杯しか食べられないってそんなに悪いことなのかな？
一杯しか食べないと、こんなに人を泣かせちゃうのかな？
この間、梁山泊（近所のラーメン屋）でママのやきそば分けてもらっちゃったけど、
あの時、梁山泊のおじさん、もしかして泣いちゃったのかな？
どうしよう、どうしよう…

このように自分で必死に解釈して、
かけそばを一杯しか食べてもらえなかった蕎麦屋に同情して泣きむせんでいる（と勝手に思い込んだ）級友の様子を見ながら、気の弱い私はジャンジャン恐怖を募らせて混乱し、結果、級友と同じようにしゅんしゅんと泣き出した。

私の涙を先生は満足気に眺めていたが、級友たちとは明らかに違う涙を流していることがただ胸に重かった。

一事が万事、何かをいつも読み違える自分の感性は、
人生のあらゆる場面で何かをやらかした。
こうした理解力の欠如や、読み違えの最大の問題は、
誰もわざわざ説明したり、教えてくれることがない、という点に集約する。

「まさか、そんなところがわかってないとは思わなかった！」

これは、私をこれまで支えてきてくれている家族や友人、知人の声である。

さらに、私の場合、
理解力に加え質問力も不足している。

「わからないなら聞けばいいのに！」

これもよく言われる言葉である。
が、わからないなら聞ける人、というのは、
わかっていない自分、
もしくは、
自分は何がわかっていないのか、
もしくは
わかっていない今の状況に自分はすごく困っているという自覚、
などをわかっている人である。
私の場合、そういうことがわからないから、世界との距離が埋まらなかったのだろう。

質問をしない子であったかというと、そうではない。
いや、確かに、極度の人見知りで、人に質問をすることは少なかったが、

毛が生えている黒子の中にはタネがあるのか？
爪は本当に指以外からは生えてこないのか？
雑巾で拭くと、なぜこぼした牛乳が消えるのか？

このように、
自分なりの世界に対する疑問、もしくは不安や心配は絶えず溢れていた。
残念なのは、疑問というフラッグを立てるポイントが、
理解力同様、実用面から致命的に外れていることであろう。

このように質問下手で、
本来訊くべき場面にも関わらず、
わからないなりの自家培養で育てた自己判断を繰り返せば、
読み違えはエスカレートするしかない。

自分の挙動は気の弱い私にはほとほと持て余す代物で、心底愛想も尽きた。
なのに、自分の勘違いしている虚像世界を見捨てる気持ちにもなれない。

心の中の"駅前のきっさてん"には、
今ではレジ横のケーキ用ショーケースの隅にひっそりとかまぼこが置かれているし、
『いっぱいのかけ そば』という言葉とともに思い浮かぶのは、
蕎麦屋の店主の苦笑いであるが、
こうした理解のかけ違いから生まれた幻想たちを、
心のどこかで、かけがえのない大切な存在だと感じてしまうのは、
やらかす度に怒られたり、呆れられたりする中で、
でも、この真剣さ、真摯な気持ちだけは、どうにかわかってほしい、と
願い続けてきたからだろう。

少なくとも、
私はものすごく真剣に『いっぱいのかけそば』について考えていたし、
その一生懸命さを思うと少し泣けて、
時間が経てば自分で笑えて、
そして愛おしくなる。

これまでも、これからも、
理解力が欠けて、読み違えも激しく、思い込みであったとしても、
それでも、私なりに真剣に世界を観て、綴っていきながら、
広く深く遠く温かい眼で見守りあえる、
そんな場所を、ほんの少しづつでも、体を張って広げいけば、
そこはきっと、居心地の良い居場所になるだろう。

Colorín colorado✨🌈

＊当時の気持ちを、今の私なりに説明しているものの、あの頃の私は、自分が感じていることや思っていることをこんなに明確に理解していたわけではなく、もっと言葉にならない、漠然とした感覚だった。だからこそ、より一層どうしようもなく、持て余していたし、今も、現在進行形の想いや考えは、相変わらず漠然としている。